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      | PROLOGUE | 
    
    
        
        
       隣に並ぶ、美しい花嫁。 
       純白の衣装に身を包み、柔らかな朱色に頬を染めながら凛と立つ姿は、さぞかし清楚な女性にしか見えないことだろう。けれど、その女性こそが俺の可愛い奴隷だとは、ただの見物人に判ることはないだろう。 
       ましてや、彼女の体に俺の名残りや淫猥なモノを咥え込んでいるなどとは――。 
        
        
        
       数ヶ月前の話。 
       俺の上司でもあり友人でもある市河奎吾(いちかわ けいご)が運命の出会いをし、結婚することとなった。運命と一言で言えば、本当に簡単で軽い言葉となってしまいがちだけど、あのふたりにはその言葉が一番適切な気がしてならない。様々な困難があったにも関わらず、今では幸せになろうと努力しているふたりの姿は、傍目から見ても健気で優しい気持ちにさせてくれる。 
       そんなふたりから俺達夫婦に声が掛かったのは必然だったのかもしれない。 
        
        
        
       いつもどおり仕事から帰宅した際、美和子の様子がおかしかったのは華依とふたりで結婚式に着るドレスを選びに行った日だったと思う。何度となく声を掛けても返事が上の空。彼女の変化がどうしてなのか、それに気付けないほどの野暮じゃないつもりだ。けれど、それを指摘するつもりもなかった。 
       何故なら彼女の中にある、その壁は自分で越えなくてはならないものだから。 
       壁――それは誰かの手を借りたところでどうにかできる問題でもないが、同時に彼女ひとりの力では乗り越えることが叶わないものも少なくないだろう。 
       けれど今回のそれは、たぶん俺が手を貸しても無意味で……今はまだ放っておくほうがいいだろうと信じ、俺は黙って見守ることにした。というより、今までも何とか自分でどうにかできた彼女のことだから、今回の件もきっと乗り越えてくれるだろうと放置したといってもいいのだが……。 
        
       そんなコトがあった次の日だった。 
       奎吾が朝から上機嫌な様子で出社をしてきて、開口一番、俺にこんなことを言い放ったのだ。  
      「華依がな、美和子のウェディング姿を見たいと言ってるんだ」 
      「は?」 
      「だから、華依が『美和子さんと結婚式を一緒にしたい』と言ってるんだよ」  
       一瞬、何を言っているのか判らず友人の顔を凝視してしまっていた。 
       けれど奎吾も本気なのか何なのか、別段、俺を揶揄(やゆ)するつもりで言い出した訳ではないことも見受けられた。 
      「昨日、美和子とふたりで衣装を見に行かせただろ? そこで、色々と話をしたらしい。で、お前達が結婚式を挙げてない話も聞いたらしくて――それなら、と思ったらしい」 
      「ふーん」 
      「で、せっかくなら一緒に結婚式を挙げたい、とね」 
      「ふむ……」  
       奎吾の言葉に、あの子らしい考えだ――とは思った。 
       彼女にとって美和子という存在は友人に対してのものとは違い、もっと深いものを抱いているのだと、ふたりの様子を見ているとよく判る。そのくらい、美和子を信頼し心から受け入れているのだろう。 
       それもそのはずだ。何しろ、あれだけの事があったあと美和子にだけは必要以上に甘えることができていたようだし、美和子も満更ではなかったようだったしな。 
       華依には家族がいない――そして、美和子にも。そのせいでふたりの距離感が家族に近い感情を生み出しているのは、俺にも伝わっていたのだから。 
        
      「と、いうことだ」  
       と言い切った奎吾の顔には、既に俺たちも結婚式を挙げると決めつけたものが浮かんでいた。 
       確かに俺と美和子は結婚式など挙げることなく籍を入れた。 
       それは美和子の精神面を考えてのことでもあったのだが……俺たちが籍を入れてから数年も経っている。もう、そんなに心配するようなこともないのかもしれない。 
       それなら――美和子のウェディング姿も悪くないな――。 
        
       そんな事を考えている俺に奎吾も気付いたのか、ニヤリと口元を歪ませて見せた。  
      「決まったな」  
       そう言った奎吾を横目で見つつ、俺は小さく頷くに留めておいた。 
       本当なら美和子の意見も聞くところだが――彼女の説得は、たぶん俺がするよりもあの娘に任せるのが一番だろう――などと考えつつ。 
        
        
        
       それから数日間、毎日のように奎吾の婚約者、華依が美和子のところへと通っていた。 
       一応、俺からも美和子に結婚式の話はしてみたけれど、案の定、素気無(すげな)く断られたのだ。 
       それを知った華依が、数日前から美和子を説得のため訪問し始めている。言ってるコトは可愛らしい子供のようなものばかりだけれど、その必死さは周囲を温かい気持ちにさせていった。 
       もちろん、それは美和子にも伝わっているのだろう、ときには困った顔をし、ときには悲しそうな顔をして彼女を見つめている。 
       そんな顔をするくらいなら、とっとと同意してしまえば良いものを――と思うのだけれど、彼女にも思うところがあるのだろう。 
       いつもなら、華依の小さな我が侭や甘えを笑って聞いてやる美和子なのだが……まあ、それには彼女の過去にあったことが大きく起因しているのは間違いない。 
       けれど……美和子が華依に堕ちるのも、そう遠くない話かも知れないと思えたのは、彼女の表情が初めに話を聞いたときよりも柔らかくなっているから。 
        
        
        
       あの日―――奎吾から結婚式の話をされた日、美和子は俺の話を聞いた途端に顔を強張らせ、必死に拒否してきた。  
      「え?」 
      「だから華依ちゃんがおまえのウエディングドレス姿を見たいと言い出してな、それを聞いた奎吾が一緒に式を挙げないかって言いだしたんだ」 
      「何を言ってるの……そんなこと、今さら……」 
      「イヤなのか? 俺は、おまえの花嫁姿見てみたいけど」 
      「わたしは! わたしには、そんな資格が無いこと知ってるくせに……」 
      「美和子、俺は気にしないと言ってるだろ?」 
      「わたしが……嫌なんです。今は幸せです。あなたというご主人さまにも出会えて、こうやって妻という立場に据えて貰えて。でも、わたしなんか、そんな……」  
       そう言い切った美和子の顔は、あまりにも情けないものだったと思う。 
       俺としては気にせず、それこそ前に進む一歩として受け入れて欲しいと思ったのだが……どうも美和子という女は、控えめを通り越して卑下している部分が多大にある。 
       それにしても、この強張った顔つきは――まるで、あの頃を思い起こさせて仕方が無い。 
       本当にいつになったら美和子は、あの場所から真実、俺の場所へと来てくれるのか。 
        
        
        
        
       必死に華依が美和子に言い募るそれを横目に、奎吾の顔つきが変化しつつあった。 
       まったく奎吾といい、美和子といい、本当に大人気ないというかなんと言うか――。 
       ココはそろそろ俺の出番かね。 
        
      「ねえ、美和子さん。あたしが奎吾さんと結婚できるようになったのは、前田さんと美和子さん、ふたりの力があったからこそだって思ってるの。だから、一緒に――がいいの」  
       そう言いながら、必死に美和子を説得してる華依の姿は本当に健気だ。それを見ている奎吾の顔にも、その華依を愛しんでいるのがよく判る。  
      「美和子、お前もそろそろ折れてやったらどうかな? ココまで華依ちゃんが毎日通ってきてくれてるのだから」  
       そう言うと美和子の顔が一瞬だけ寂しそうな顔に変わった。 
       その意味を汲み取れないほど莫迦ではないけれど、いつまでも過去に拘(こだわ)っている彼女をそこから解き放ってやりたい気持ちの方が大きい。 
       何よりも――過去より今が大切で、前に進むことこそが俺達には必要なのだ、と教えたいのだ。 
       いや、そうしてきたからこそ、今があるのだけれど……。  
      「ドレスはオーダーメイドなんだろう? 奎吾」 
      「ああ」 
      「それなら、華依ちゃんと一緒に見に行くのは楽しいだろうね」  
       俺がそう言った途端、華依の顔がパァっと光り輝いた。嬉しそうに頬を染めて、あまり表情を変えない彼女が喜びのあまり笑顔を見せる――と、それを見ていた奎吾は複雑な表情を作りながらも、どこか嬉しそうに苦笑する。 
       そして――。  
      「あたし、美和子さんと一緒にウェディングドレスを着られたら、凄く嬉しい」  
       小さく呟いた華依の言葉が決め手だったのかも知れない。 
       美和子が大きくため息を吐き、そして仕方なさそうに苦笑を洩らした。  
      「もう、華依ちゃんには敵わないわね」 
       そう言ったのは、本当に必然だったのだろう。 
        
        
        
        
        
       それから数ヶ月後。 
       俺達は、奎吾達の結婚式に便乗することとなったのだった。 
        
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「綺麗よ。とっても似合うわ、華依ちゃん」 
「そ、そうかなあ?」 
 真っ白なウエディングドレスに身を包んだ彼女は、自信なさげに自分を見回したあと、少女のようなはにかんだ笑顔をわたしに向ける。 
「ええ、華依ちゃんはスレンダーだから、そういったラインのドレスがとてもよく似合うわ」 
 ウエストは強調されているが、ヒップとバストのラインにはレースが幾層にも重なりボリュームを出しているために貧弱には見えない。彼女は自分が痩せすぎなのを気にしているようだから、こういったデザインの方がいいだろうと思って薦めた。 
  
 華依ちゃんは、わたしの夫・俊介の親友であり彼が副社長を務める会社の社長でもある奎吾さんの婚約者。とても辛い目にあった彼女のことは他人事に思えず、その大きな目は死んだわたしの妹によく似ていた。 
 ――――あの子のことを考えると今でも心が痛い。幸せをその手に握ることなく、辛い思いだけ抱えてこの世を去ってしまったのだから…… 
 同じ苦しみの淵にいながら、ようやくわたしが幸せの切れ端を掴めたのは俊介のおかげだ。こうやって平凡な生活を送れるようになった今、せめて妹のように思う彼女が幸せになってくれることが唯一の贖罪であり希望でもあった。彼女の婚約者の奎吾さんは俊介に比べて口数も少ないけれど、彼が華依ちゃんをとても大事に思っていることはよくわかっていた。 
  
「この型を元にバリエーションもつけられますし、レースもお好みのものを選んでいただけますよ。生地もこちらですと少々お値段が張りますが、着心地も光沢も格別でしょう?」 
「そうね、凄く綺麗な生地だわ……」 
 思わず手に取って触れたくなってしまうほどの心地よい手触りだった。 
「彼女の婚約者は、きっと値段を気にせず一番彼女に似合ういいものをと言うに決まってるわ。この生地で決めたらどうかしら?」 
「はい、私どもも市河様からそう伺っております。値段を気にするようだったらお連れの前田様に決めて貰ってくれと」 
「あら、そうなの?」 
「酷いなぁ……奎吾さん」 
「それはいつも華依ちゃんが彼に遠慮するからでしょう? 本当は此処にも付いてきたいだろうけれども、そうしたら華依ちゃんが自分の意見を言わずに奎吾さんの薦めるものに従ってしまうもの。だからわたしが来てるんでしょう?」 
「それは……でも、一度しか着ないのに」 
「いいじゃない。ウエディングドレスなんて一生に一度だからこそ、妥協せずに一番着たいドレスを着るのがいいのよ」 
 店員も思わず頷いている。でも……本当はわたしにそんなことを口にする資格はない。 
「そうかな……じゃあ、美和子さんはどんなドレスを着たの?」 
「え……わたし?」 
「うん、前田さんと結婚した時」 
「わたしは……」 
 わたしと俊介さんは入籍して正式な夫婦にはなったものの、式なんか挙げてはいない。もとよりわたしは彼の妻と名乗るのもおこがましい存在だ。この身体も人生もすべて汚れ果て、それを厭わないほど心まで奈落の底に堕ちてしまっていた。わたしに純白の無垢なウエディングドレスを着る資格なんて……ない。 
「式は、挙げてないのよ。わたしたち……長いこと一緒に暮らして、それから入籍だけしたから」 
「そうだったの……?」 
「ええ、わたしにも身寄りはないし、俊介さんも実家とは縁を切ったままなの。今の身内は奎吾さんや華依ちゃんたちって言ってもいいくらいね。わたしは妹のような華依ちゃんの晴れ姿が 見られるだけで幸せなのよ」 
 この子も、一時期とはいえ奎吾さんの従兄弟に拉致され薬を使われて酷く犯され、身も心もズタボロになってしまった。そんな彼女をわたしは放ってはおけなかった。だけど結局彼女を元に戻したのは奎吾さんだ。愛する人が居るからこそ立ち直れる、それはわたしも同じだった……俊介さんに出会っていなかったら、わたしは今でも地獄の底辺を彷徨い歩いていたことだろう。 
「でも、あたしにも身よりなんてないよ? 式に来てくれるのも近所の常連さんとかだし、奎吾さんだって会社関係の人ばっかりで、お友だちは結局前田さんと共通の人ばかりでしょ?」 
「なに言ってるの。華依ちゃんの花嫁姿を見たいって奎吾さんが言っているのでしょう? それに、わたしも華依ちゃんが幸せな花嫁さんになるところが見たいわ」 
 なにかしら? 彼女はじーっとわたしの方を見て考えているようだった。普段口数が少ない分、この子はじっと人を見たり心の中でゆっくりと物事を考えるらしい。控えめすぎて何が欲しいと思っているかわからないと、よく奎吾さんから相談を受けたりするけれども、華依ちゃんは物欲も低いし、甘えるのもあまり得意じゃないだけなのだ。いつも『奎吾さんの側に居られたらそれでいい』と言ってるような子なのだから。今迄みたいに高額の装飾品を欲しがってねだるような女ではないのに、何をしていいかわからない彼はやたらとそういった物を買い与えて喜ばせようとする。それはそれで見ていて微笑ましいのだけれども。 
「華依ちゃん?」 
「う、ううん、あの、ね。美和子さんは、式を挙げたくなかったの?」 
「そんなことには拘らなかっただけよ。ようやく普通に暮らせるようになったんだから……ドレスは、昔は憧れたけれども、今はもう……それを着る資格はわたしにはないわ」 
「え?」 
 一瞬その言葉に華依ちゃんが反応する。いけない、彼女にとってこの言葉は禁句だった。 
「ほら……だって、わたしはもう結婚してミセスなのよ?」 
「あら、お客様! 最近は結婚してても、何らかの事情で式を挙げてらっしゃらない方が、年月が経ってから改めて挙げられることも多いんですよ。その場合ウエディングドレスを着て写真撮影だけとか。うちのレンタル部門でもそう言った方の為に写真撮影コースを用意してございます」 
 店員が丁寧に薦めてくれるけれども、そんなことが問題なんじゃない。わたしが……着る気になれないというか、尻込みしてしまうだけ。それほどこの身体は汚れ、あの時使われた薬や器具のせいで二度と子供のできない身体になってしまったというのに…… 
「いえ、本当にいいんです」 
 そう答えて華依ちゃんを見ると寂しそうな表情が目に入る。急いでにっこり笑ってみせたけれども、華依ちゃんはあまり納得していないようだった。 
  
  
 結局その時は基本の型を決めただけで、華依ちゃんはその試着姿をポラロイド写真で撮って貰い、それを奎吾さんに見せるのだと嬉しそうに胸に抱えて持ち帰った。 
 その数日後、俊介さんがとんでもないことを言ってきた。 
「え?」 
「だから華依ちゃんがおまえのウエディングドレス姿を見たいと言い出して、それを聞いた奎吾が一緒に式を挙げないかと持ちかけてきたんだ」 
「何を言ってるの……そんなこと、今さら……」 
「イヤなのか? 俺は、おまえの花嫁姿見てみたいけど」 
「わたしは! わたしには、そんな資格が無いこと知ってるくせに……」 
「美和子、俺は気にしないと言ってるだろ?」 
「わたしが……嫌なんです。今は幸せです。あなたというご主人様にも出会えて、こうやって妻という立場に据えて貰って。でも、わたしなんか、そんな……」 
 昔を思い出させるような言動は滅多にしない二人だった。だから俊介さんもそれ以上口にはしなかった。 
 だけど、その数日後から…… 
  
「……どうしてもだめなの?」 
 華依ちゃんが足繁くうちに通ってくるようになったのだ。 
「華依ちゃん、あなたたち二人の式なのよ?」 
「奎吾さんは、いいって言った」 
「でもね、わたしは……」 
「わたしは美和子さんと一緒がいいの!」 
 まるで子猫のように無垢な目を向けられるのは辛かった。いっそのこと自分の過去を話してしまいたかったけれども、それは彼女にとっても過去をえぐり出す作業になってしまう。 
「華依ちゃん、そんなこと言わないで」 
 何度か無理だと言うと彼女は黙ってしまう。そうしてまた次の時もそうやって一生懸命お願いしてくるのだ。 
  
 その日はうちのマンションで華依ちゃんにお料理を教えていたので、俊介さんも奎吾さんを連れて一緒に帰ってきた。四人で食事を取ったその後、華依ちゃんがまた真剣な目で訴えてきた。 
「ねえ、美和子さん。あたしが奎吾さんと結婚できるようになったのは、前田さん美和子さん、二人の力があったからこそだって思ってるの。だから、一緒に――――がいいの」 
 本当に弱いのよね、彼女のこの目には。 
「美和子、お前もそろそろ折れてやったらどうかな? ココまで華依ちゃんが毎日通ってきてくれてるのだから」 
 俊介さんもそう言うけれど、理由はわかってるクセに……一緒にドレスを選べばいいと言い出す始末。だけど、華依ちゃんは凄く嬉しそうだった。普段滅多に感情を露わにしない子だけにそのギャップには参ってしまう。 
「あたし、美和子さんと一緒にウェディングドレスを着れたら、凄く嬉しい」 
 はにかむような、そんな笑顔で言われたら、わたしが断れないってわかっていたんでしょう? 俊介さんは。 
「わかりました」 
 わたしは深くため息をついて彼女の方に向き直った。 
「もう、華依ちゃんには敵わないわね」 
 そう言った途端抱きついてきた彼女。そしてその姿を見つめる奎吾さんの嬉しそうな顔。その後ろで俊介さんが凄く優しい顔でわたしをじっと見てくれていた。わたしはその意味に気付き思わず涙が溢れてきそうだった。 
 彼も、それを望んでいてくれたこと。わたしが自ら式を挙げたいと望む日がくることを、待っていてくれのがわかったから…… 
  
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